美濃焼の人間国宝・荒川豊蔵の略歴・販売・買取・骨董品情報
「志野」と「瀬戸黒」で重要無形文化財保持者に認定された荒川豊蔵。桃山時代の志野を追い求め、
古志野の陶片から独自に窯を築き研究を重ね、古志野の再現を目指して作陶を重ねました。
その情熱は、荒川志野と呼ばれる独自の境地を築き上げました。
■荒川豊蔵 略歴 (号 斗出庵、無田陶人)
1894年3月17日、岐阜県土岐郡多治見町に生まれる。
1906年、多治見尋常高等小学校高等科2年修業。神戸の貿易商、能勢商店で働く。
1911年、志づと結婚。
1913年、長男武夫生まれる。
1919年、京都の錦光山宗兵衛の紹介で宮永東山と出会う。
1922年、京都宮永東山の東山窯工場長となる。
1924年、加藤土師萌と共に久尻清安寺境内の古窯跡を発掘。
1925年、東京の星岡茶寮で使う食器を研究するために東山窯に訪れた北大路魯山人と会う。
1927年、北大路魯山人に招かれ鎌倉の星岡窯に移る。
1933年、星岡窯を辞任し、大萓に戻り桃山時代様式の穴窯を築窯。
1940年、川喜田半泥子と京都鳴滝の尾形乾山窯を調査する。
1941年、大阪阪急百貨店で初の個展「荒川豊蔵作陶並絵画展覧会」を開催。
1942年、川喜田半泥子、金重陶陽、三輪休和等と「からひね会」を結成。
1944年、金重陶陽の窯を訪問滞在し、備前焼きを制作。
1946年、多治見市の虎渓山永保寺所有の山を借り受け、水月窯を築く。
小山富士夫・石黒宗麿らと「日本農村工芸振興会」を設立。
1947年、「日本農村工芸会」解散、「日本陶磁器振興会」を設立。
1955年、「志野焼」「瀬戸黒」で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。
日本工芸会の創立に参加する。
1971年、文化勲章を受章。多治見市名誉市民となる。
1975年、唐津の西岡小十窯、有田の今泉今右衛門窯で作陶・絵付け。
1976年、萩の三輪休和窯他で作陶。
1977年、信楽、備前、丹波の各窯で作陶。
1978年、萩、唐津、備前の各窯で作陶。
1984年、大萱窯の地に荒川豊蔵資料館開館。
1985年8月11日、逝去。92歳。